日本全国にいまだに根強いファンを持つレジェンドビルダーの吉村太一さんの家を訪問しました。アベノトレーニングセンター兼自宅になってます。
B&Fトレーニング後に寄らせていただきました。実はわりと近距離にありまして、久しぶりの師匠との再会となります。師匠とはこちらが勝手に思っているだけでして正式に弟子というわけでありませんが、努力が報われるということを信じてこれまでやってこれたのは吉村さんのおかげが大きいと思っていますので師匠なのですね。
私は実はゲコでして、アルコールが上手く分解できない体質で酒の席ではほぼ水かウーロン茶なのですが、今回は久しぶりに少しですが体に入れてしまいました。最初の一杯はおいしかったぁ~けど、あとは苦~いといつもと一緒でした。
吉村さんの昔話はとても興味深くて、知っている有名なビルダーとのエピソードなどおもしろい話満載でした。そして人を引き付ける魅力がある人なので、人情あふれる下町で飲んだのですが、途中突然に店に入ってきた年配のママさんから「先生~」と声を掛けられてそこから、一緒に飲みだすような感じでした。とても皆から好かれて愛されているのがよく分かります。
吉村さんはトロフィーも人にあげちゃってほとんど無い状態で、全盛期の写真すら残されたものはわずかしかないという感じなので、唯一ファンの人からの贈り物として残っている写真を撮影したものを今回ブログに載せていいと承諾をもらいましたので皆さんに見ていただきたいと思います。身長176cmとビルダーにしては長身で細いウエストでスタイリッシュでありながらとてつもない太っとい腕を引っさげて、見事23歳で第15代日本ボディビル選手権チャンピオンに輝いた勇姿です。最高54cmあった腕はえげつない代物です。
23歳で日本一となって、世界大会ミディアム級で4位を取ったのですが、このとき空港に激励に来たのはなんと三島由紀夫氏でありました。その半年後に亡くなってしまうとは想像すら出来ないと吉村さんはおっしゃってました。
吉村さんの本当の全盛期は30代後半です。しかし、いろんな団体の大会に出場したためにその後JBBFには出られなくなってしまいました。ですから、写真は途切れてしまいます。
吉村さんが現役から遠ざかっての逸話で、亡くなられた粟井さんが現役の時に一緒にトレーニングさせてもらった時、当時47cmあった粟井さんの腕よりも吉村さんの腕が明らかに太かったと回想されています。(月刊ボディビルより)
雑誌での写真です。昔はこうして美人とツーショットみたいな依頼があったとのことです。
ボディビルと美男子コンテストが同じ意味として認識されていた時代でしょうかね。
このウエストの細さはどうですか、バルクとのギャップがまさにボディビルダーですよね。
この身長でこの筋肉美は当時としては異例なことで、数々の映画の誘いがあったそうですが、ほとんど断ったということです。唯一出演されているのが「マルコポーロ」という映画なのですがどなたかテープを持ってないでしょうかね。
月刊ボディビルの表紙を飾った回数で一番の吉村さんは当時のビルダーからも憧れの存在でした。71歳の今もトレーニングをされていて、とても大きい体で私よりも全然デカイです。
もちろん、お腹も出てません。
ちょっと、腕を触らしていただいたのですが、なんと私より明らかに太かったです。
ガーン!ショック!トホホ…。